芦辺 拓『死体の冷めないうちに』
1) 双葉社 刊 / 四六判ハード / 1998年7月25日付初版 / 本体価格1700円 / 2000年5月14日読了
2) 双葉社 刊 / 文庫版(双葉文庫所収) / 2001年2月20日付初版 / 本体価格571円 /

双葉社版<作品概要>
 XXXX年、小説家・劇作家としての知名度から官僚候補を抑えて大阪府知事に当選した維康豹一は、"文人知事"という世評とは裏腹に、地方自決構想の下大胆な施策を行い、世間を騒がせた。その中でも特筆するべきは、戦後連合軍の占領下、アメリカ並みの地方自治を目標に各地に結成された<自治体警察>、ひいてはその模範となった<大阪警視庁>の復活を企てたことであった。元弁護士の支倉遼介警部以下、赤津宗和、蒔岡久美両刑事、玉村由梨子婦警ら自治体警察局特殊捜査室――通称自治警特捜が遭遇した、彼らならではの事件を語る連作短編集。

忘れられた誘拐
『小説推理1997年6月号』(双葉社)初出
”知性を備えた野獣”の異名を取る小野瀬一雄が相沢麻里という少女を誘拐した。身代交換の現場で期せずして発生したバイクチェイスの結果事故に遭遇した小野瀬は記憶を喪ってしまう。単独犯を好んだ小野瀬の記憶喪失は、少女が監禁場所で孤立したことを意味した。自治警特捜は彼女を飢渇死から救うために奔走する――!
[深川's Review]
 実際に本編が発表されたのは「死体の〜」→「存在しない〜」に続いて三番目のことであるが、内容的にも相応しい位置づけ。誘拐ものではお馴染みの、犯人と捜査陣との駆け引きを追った作品ではあるが、そこに"記憶喪失"というツイストを交えただけで異様な味わいを醸し出している。駆け引きという側面からするとやや物足りないが、この枚数を充分に生かした仕掛け故致し方ないことだったろう。

存在しない殺人鬼
『小説推理1997年2月号』(双葉社)初出
 ホテルに勤務する宮内真穂は帰宅途上、滅多に通らない道筋で殺人現場に遭遇する。警察の聴取、マスコミの取材攻勢といった怒濤の一夜が明けると、だが新聞もテレビも事件のことはおくびにすら出さない。あれは幻だったのだろうか? 真穂は自治警特捜に真相の究明を依頼する。
[深川's Review]
 意表を突く展開が巧妙な佳編、だが末尾で急激に噴出する現行の社会制度への憤りが、理解できるにしても些か鬱陶しく感じてしまう。作中に綺麗に織り込んで欲しかった、と思う反面、それが読み手に手がかりを与えることにもなりかねないのが辛いところか。

双葉文庫版死体の冷めないうちに
『野性時代1995年8月号』(角川書店)初出
 矢来一正は大学時代の同級生であった伊地智伸行の殺害を企図し、巧妙なアリバイトリックを仕掛ける。争闘の挙句に伊地智の殺害に成功した矢来だったが、何故か彼のアリバイは成立しなくなっていた――?!
[深川's Review]
 倒叙、アリバイ工作、意想外の展開など、組み立てが『刑事コロンボ』のような推理ドラマを思わせる。あくまでも犯人の目線から語られているため、他の作品と較べると自治警特捜の出番は少ないのだが、彼らの存在が展開のアクセントとして一番利いた一篇。

世にも切実な動機
『小説推理1997年10月号』(双葉社)初出
 自治警特捜の赤津刑事が友人のアパートを訪れたその日、隣に住む老人が割腹自殺を図った。その裏には、どうやら老人の息子が関わったヤクザの内部抗争があるらしい。支倉警部らは動機の解明を試みる。
[深川's Review]
 伏線の配列から纏め方まで巧妙なホワイダニット。パーツの所為か最終的に人情劇になってしまうところで好みが分かれるように思う。ところで、本編のある登場人物は最終篇でも登場するのだが、その間にちゃんと身の始末をつけたのだろうか……?

不完全な処刑台
『小説推理1997年8月号』(双葉社)初出
 小野瀬一雄が奇計を弄して法廷から逃亡した。相前後して、自治警特捜の支倉と蒔岡刑事があるタレコミに従って訪れた倉庫に閉じこめられる。その中にあるのは、起爆装置しかない時限爆弾――。二人を陥れた人物の狙いは一体なんなのか。
[深川's Review]
 作中に使われている仕掛けは結構有名だが、その扱いが慧眼。後続二編(初出では間に「世にも切実な動機」が挟まる)のきっかけとなるエピソードであり、単品としては他に言うことが思い浮かばない。

最もアンフェアな密室
『小説推理1998年3月号』(双葉社)初出
「不完全な処刑台」事件の爆弾を作成した青年・御子柴悟の居所を突き止め、張り込みを続けていた自治警特捜の前に、割り込むようにして大阪府警捜査一課の面々が登場した。その矢先に御子柴の部屋から火の手が上がり、泡を食って突入した彼らの前には倒れ伏した御子柴の姿があった。府警に御子柴の身柄を奪われ消沈する自治警の面々だったが、ここに至って事態は奇妙な展開を見せる。府警は、一連の出来事は全て存在しなかった、と言い放ったのだ。
[深川's Review]
 自治警特捜、という設定がトリックと不可避に結びついている、という点で本書中でも際立った一作となっている。対立する警察の間抜けぶりが強調されすぎているのにやや恣意を感じるが、本書のみならず芦辺氏の諸作では旧弊に囚われた社会機構の戯画化が頻繁であり、本編における描写もその表出であること、また枚数の制約からすれば、間抜けすぎる彼らの所行も致し方ないことかも知れないが。

仮想現実の暗殺者
『小説推理1998年5月号』(双葉社)初出
 維康豹一府知事の壮大なプラン”廃県置市”が実行に移され、記念式典を境に府知事は市長となる。だが、その記念式典において維康府知事を暗殺するという予告が届く。小野瀬からの挑戦に、自治警特捜は人手不足を承知しながらも府知事の警備に乗り出す。”知性を備えた野獣”と彼を崇拝する御子柴青年の大胆不敵な作戦から、支倉警部らは如何なる手段で維康新市長を守るのか。
[深川's Review]
 クライマックスに相応しい大仕掛けが展開される一篇。現実に行うには非常な困難を伴うトリックだが、そもそも舞台設定自体が<仮想現実>の世界であり(本編においてその傾向は特に著しい)その中に置かれた分には決して大袈裟に感じない――翻ると、舞台設定に巧く馴染めないと最後まで違和感が付きまとい戸惑ったまま話が終ってしまう、という結果を齎しかねないのだけれど。シリーズの最後にあるからこそその効果が期待される一篇であり、本書における配列の妙を感じさせる。

<総評>
「存在しない殺人鬼」、「世にも切実な動機」、「最もアンフェアな密室」、三編で同じ系統の仕掛けが用いられているのが象徴的。本書に登場する<自治体警察>の実在する原型については「死体の冷めないうちに」からシリーズ化の端緒となった「存在しない殺人鬼」の間に執筆・発表された『時の誘拐』に詳しいが、その中で作者の胸裡にあった為政者や現行の警察機関に対する不信感が募り、良くも悪くもこの自治警特捜シリーズにおいて結実したと見える。最終篇「仮想現実の暗殺者」においてその思いが行くところまで行ってしまい、このまま続けると果てしなくパラレルワールドへ足を踏み込んでしまいそうな勢いだが、幸か不幸か現時点(2000年5月)で続編は著されていない。キャラクター一人一人の魅力、という点では若干の食い足りなさを感じるが、現行警察と併存対立する警察組織、というアイディアはこれ一冊で終らせてしまうには惜しい。構想があるのなら続編を望みたい。

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単独名義
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