芦辺 拓『時の誘拐』 -森江春策シリーズ(3)-
1) 立風書房 刊 / 四六判ハード / 1996年9月28日付初版 / 本体価格2233円 / 2000年5月13日読了
2) 立風書房 刊 / 新書版(立風ノベルス所収) / 2001年9月25日付初版 / 本体価格1300円 /
3) 講談社 刊 / 文庫版(講談社文庫所収) / 2004年3月15日付初版 / 本体価格990円 /

立風書房版<作品概要>
 鮎川哲也氏の賛辞を添えて刊行された、芦辺拓氏通算7冊目、素人探偵・森江春策を道化役とする一連のシリーズ三冊目の単行本にして八番目に日の目を見た事件簿でもある(発表順による)。
 大阪府知事候補・根塚成一郎のひとり娘で中学三年生の樹里が、東京から大阪に向かう途上で何者かに誘拐された。政党、警察、父と母と娘、それぞれの思惑が入り交じる中、犯人は思いがけない要求を捜査陣に突きつける。最近マスコミで取りざたされたばかりのアメリカ生まれのボランティア団体《ラウンディング・ナイツ》大阪支部代表・阿月慎司を身代金の運搬係として指名したのだ。阿月青年は団体での訓練も奏功して、犯人の捜査陣を翻弄するが如き要求に機敏に対応する。犯人は大阪の秘められた特性を巧みに利用し、まんまと身代金の奪取に成功した。そのあまりにも巧妙な推移は警察の阿月に対する疑念を呼ぶ。阿月は非常に備えて協力を求めていた森江春策弁護士に連絡しようとするが、その矢先に犯人からの連絡を受け、未だ虜となったままだった受理の奪還に向かわされた。だが、そこで阿月が発見したのは樹里のみならず、誘拐犯の一味と思しい男の惨殺死体。一部始終を撮影していたフリージャーナリストらの証言により、阿月は濃厚な殺人の嫌疑を掛けられ、遂に警察に捕縛されてしまう。
 物語は過去の同じ場所、昭和二十四年の大阪を舞台に発生した連続絞殺事件に言及する。当時設立されたばかりの大阪警視庁警部・海原知秋と<夕刊新日本>記者の高塔周一はいち早く一連の事件の関連性に気づき奔走するが、事件には意外な陥穽が待ち受けていた。その先にあったのは、自治体警察と国家警察との軋轢が生んだ冤罪であった――
 現在の、誘拐事件に端を発する殺人事件。過去の、戦後という業が生んだ忌むべき冤罪事件。彼らの不名誉を雪ぐため、弁護士にして素人探偵の異名をとる森江春策は、二つの事件に纏わる不可能犯罪に挑む。

立風ノベルス版<深川's Review>
 幾つもの趣向が絡んで重厚で読み応えは抜群。誘拐犯とのスリリングな取引場面から舞台は一転、昭和二十四年の大阪を舞台にした連続絞殺事件と、誘拐犯に利用された青年が謂われのない嫌疑を受け苦悩する場面とが交錯し、双方の事件の因果関係についての興味を掻き立てて頁を繰る手を止めさせない。一作先んじる『歴史街道殺人事件』は大黒柱となる強烈なトリックを幾つかの小技が支える構造だったが、本編はデビュー作『殺人喜劇の13人』にも似て(あそこまで徹底的ではなかったが)大小様々なからくりを鏤めることでミステリ世界を強靱なものとしている。
 しかし、動機や物語の観点からすると、エピソードや各種背後関係の結びつきが複雑な割には、全体の結びつきがやや弱く感じられた。また、題名を「誘拐」とした割りには肝心の誘拐事件としての描写が中盤以降は薄まり、過去の事件と誘拐事件に端を発する殺人事件に興味が傾き、更に終盤では法廷場面が中心となるなど、盛りだくさんと言えば聞こえはいいが、あまりに趣向を盛り込みすぎて散漫な印象を与えてしまっている。各々の事件の謎解きが随所でバラバラに行われたことで、結末にカタストロフィを感じさせなかった点も物足りない。事件の外連味に満ち満ちた推移、要所要所に隠されたお遊びなどによってなまじ読んでいる間の享楽が濃密な分、その充分に「落ちきっていない」結末が惜しく感じられるのだ。或いは二読三読することによって「落ちきっていない」という不満を埋めることも出来ようが、本来それを読者に強制は出来ないのだから。――換言すれば、予め再読の覚悟があるミステリ読者にとっては無上の楽しみを与えてくれる可能性もあるだろう、と付け加えておきたい。
講談社文庫版 物語の根底には官僚主体の政治に対する不信感、作者の居住する「大阪」という都市に対する愛憎半ばする感情があり、その主題の描きぶりは熱気に溢れ本書に一読の価値を添えている。特に「大阪警視庁」をはじめとする、占領時代の混乱の中で生まれやがて忘れ去られてしまった幾つかの存在や価値観を作中に盛り込み、作中で不可欠なものとして有効に利用した姿勢と意欲には敬意を表したい。それらを肩の凝る啓蒙書もどきの叙述に拠らず、あくまでエンタテインメントの文法で語っている面には作者のバランス感覚の確かさも窺われる。それだけに、物語としてのアンバランスさが余計に惜しまれる訳だが。
 主題について、読了後読者は様々な感慨を抱くことだろう。作者の狙いも恐らくそれに尽きるのだろうが、反面私は、為政者たちに対して突きつける言葉は、物語の掉尾における森江春策のそれ一つで事足りる、といった気持ちにさせられた。作品としてのアンバランスさこそ疵として挙げたが、結末にそういう思いにさせるという点で本編の狙いは充分に達せられていたのではないか、という感想もある。いずれにしても、ミステリ以外の部分に対する判断は、読者各自が書を置いたあとに行っていただきたい。

――僕たちのこの町にあなたのような人はいらないんです――

(2000/5/13)

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